丘のうえの小さな写真館 星空への想い
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★星空への第一歩★No.2
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★星座のことがよくわかってきたら | |||||||||||||||||||||||||
星座のことがよくわかってきたら、そのまま肉眼だけで星を観望する人であり続けるもよし、双眼鏡や望遠鏡やカメラを使うのもよい。 そういった光学系をどうして使うのか、色々と進んでいく方向が人にはあることをここでは述べてみたいと思う。 |
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★星を見るにふさわしいスタイル | |||||||||||||||||||||||||
目で見る星空が一番美しい。これは誰でもがそう思うことである。では、どうして望遠鏡を使うのか。それは目に見えない世界を見ようとするからだ。 実際の星空には我々の目がいくら優れていても、目には見えないものがたくさん散らばっている。これを望遠鏡という道具を使って見ていこうとするわけである。 しかし、いくら高価と思える望遠鏡を使っても、図鑑に載っているような派手やかなものが見えるわけではない。 我々が普段見ている地球上の光景に比べたら、宇宙の光景などいかに光に乏しく、地味であるか、そのことだけは忘れないで望遠鏡を覗いてほしい。 だからといって、星空を見る意味がないかというとそうではない。広漠とした宇宙を知り、その光の乏しさを見ると、その刺激のなさを通して、光に満ちあふれた自分の普段生活や、もっと広く地球のことなどが見え始める契機となるかもしれない。 だが、ある人はそうした星空を見ても何かあるかもしれないと考えて、茫漠たる宇宙に果敢に挑もうと思うかもしれない。それはそれで人間の純粋な本能の表れだと思う。 だが、僕は、宇宙を地球と共に見つめることを愛する。 |
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★双眼鏡・望遠鏡・カメラを使う場合 | |||||||||||||||||||||||||
先にも述べたとおり、双眼鏡や望遠鏡やカメラを使って星空に近づいていく道は、実際に目の前の星空にありながら、目にはどうしても見えないものを見たいという想いやもっと遠くを見てみたいという、いわば冒険心から発する。
特にこの中では望遠鏡がそのような願いをかなえてくれることになるのだが、望遠鏡は扱いが難しく、大きくて場所もとるのでなかなか敷居が高い。 そこで、双眼鏡というのが考えられるが、双眼鏡では見るものが少なくて、意外と飽きてしまう点を否めない。 自分事だが、どういうわけか、あまりよく見えないはずのカメラのファインダースクリーンに投影された星空を見ていると、想像力がかき立てられて、星空を肉眼や望遠鏡を用いて見ているときよりも、星空を美しく感じるのである。 話はそれたが、上のように望遠鏡を用いて、星を見ていくということは、目には見えない星空を見ることであり、宇宙への冒険であり、そうしたアプローチもまたあってしかるべきである。 |
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上の写真はカメラ独特の表現であり、肉眼で眺めることとはその方法が違う。 左の天の川は肉眼の視野を遙かに越えた魚眼レンズによって天の川を撮影したもので、カメラの視点によると、肉眼の見える範囲を大きく超えて星空を眺めることができる。 また右上の写真では星空が軌跡を描いている。これもカメラ、写真の世界の独特の表現である。カメラを三脚に固定し、何時間も露出すると、地球の自転により星が夜空を背景にこうして軌跡を描くようになる。いわば4次元の世界の表現に他ならない。 こうして写真は肉眼で眺める範囲を広げ、時間と空間を拡大していってくれる。 |
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次に、望遠鏡を使うと、上の写真のように肉眼の倍率ではとても見えないような小さくて淡いものを高解像力で見ることができるようになる。 上左の写真は我らが銀河のお隣の銀河で、有名なアンドロメダ星雲である。アンドロメダは三角座のM33や南半球の大マゼランなどと並んで、肉眼でその存在がわかる大型の銀河であるが、肉眼ではぼ〜っとその存在がわかる程度であり、上の写真のように星の無数の集まりとしてみるためには、どうしても望遠鏡の力を借りなくてはいけない。 同時に、右の写真は月食の様子だが、月の場合にも肉眼でも綺麗なのだが、望遠鏡で見る月もまた格別のものがある。 そして特に、こうして月食となると、やはり望遠鏡や双眼鏡を使ってみてみると、なかなか迫力ある美しさを感応できるようになる。 |
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上の写真の視野はちょうど肉眼で見える広さである。上左が秋の天の川を越える流れ星の写真、右がさそり座全景である。 肉眼では丁度こんな感じで見える。 これで十分に綺麗で、この中に隠れ秘める何ものも見る必要がないと考える者は、ここに留まるのがよく、いや、星空のどこかで隠れ秘めるものを見ていたい思う者は、望遠鏡を持ち出せばよい。 ただ、星を見る上で、望遠鏡やカメラがそういった理屈抜きで必要に感じるときがある。 それは例えば、望遠鏡をある場所に設置したら、なかなかその場所を動かない。従って、安易に星を見ることに飽きて手持ちぶさたにならないと感じるときである。
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No.3 | |||||||||||||||||||||||||