の世界
118号-1 『釜の仙境と大沼に咲く睡蓮』 20067
 今まで7月というと、5月と共に北海道のゴールデンマンスで、僕たちは富良野の丘や大雪山に出かけた。  
しかし今年はそうした常道に乗るための心の安定はなく、それでも必死になって復活をかけて道南を撮影した。
 そうしたあがきの中で得た会心の一枚がこの度お送りする白黒作品です。
この作品は函館からもそう遠くはない地にある戸切地川の釜の仙境で撮影したもの。
この釜の仙境へは林道に車を置いて、後は急な斜面をジグザクを切りながら下りていかなくてはいけない。
時間はそうかからないものの、何より熊が怖い。
もう、長いこと誰もここを歩いたことのないような道を、渓谷の一番下まで下りていく。 
僕は思いきっり鈴を鳴らしながら慶ちゃんと二人で急いで下りていった。「願いは熊と会わないこと」だけだった。そうして渓谷の一番下に着くと、驚くほど涼しい風が吹きすぎていく。あまりに気持ちの良い別世界である。あたりは鋭い川音が響き渡り、冷んやりとした風が充満して、鼻から入ってくる呼気が気持ちよい。
 
 夕闇迫ろうとする渓谷は川面に霧をまとっている。僕たちがここに来るのは2度目のこと。以前にも岩のすき間から霧がわき出していたが、今回も変わらず霧が充満し、幽玄な世界である。
 ただ、幽玄といっても、風情のある悠長な感じではない。
張りつめた野生の緊張感が支配する渓谷の底である。
ここがまさか30万都市函館の近郊とはとても思えない。
極度の緊張と別世界を感じる野性的な雰囲気があたりを支配している。あの河原の中に熊が歩いていないことの方が不思議なほどである。
 
 そんな中、夢中になって写すほかなかった。こうした限界状況にあっても、もはやハッセルブラッドは僕の手足の延長のように忠実に動かせるようになっている。
 ただ、その時は夢中であったために、緑色のフィルターを入れるべきであることをすっかり忘れてしまっていた。
このことはフィルムの現像が終わり、ようやくプリントしようというときになって気がついた。もし、撮影時に緑のフィルターを入れていさえすれば、もっと諧調豊かで力強いプリントが得られたに違いない。
これだけが唯一の心残りである。
 プリントは今回は6切りプリントとし、全て左側の木立を覆い焼きして諧調不足を補い、2日かけて一枚一枚プリントしたものです。非常に手間がかかっているので、できれば大切にしてほしいプリントです。
ミズナラの木の河畔
上の白黒写真は戸切地川の中流にある上磯ダム公園からほんの少し林道を上がったところの橋の上から撮影した戸切地川の様子です。
 画面をよく見ると、右側の巨大な木はミズナラの木で、その背後に白っぽく見える河原があります。実はこの河原まで車で行けるのです。
 この河原は先程の釜の仙境のような緊張感などなく、実に明るく開放的で、誰が来ても悠々と楽しめる河原になっているところです。
 この作品はそうした明るく気持ちの良い河原に立つ、一本の大きなミズナラの木に引かれて撮ったものです。それにしても、何と端正な姿のミズナラなのでしょうか。
 これはハッセルのビオゴンCF38mmという超広角レンズで写しているので、画面にすっぽりとおさまっていますが、実際目にすると、その雄大さと端正な姿にほれぼれとします。

続いて、カラー『睡蓮』の作品。釜の仙境とはうってかわって、穏やかな大沼での撮影。
7月は大沼では睡蓮の季節。この他にも黄色のコウホネも満開で、小さな小島と小島の間の止水域を中心に睡蓮やコウホネが見られます。
 平日であれば、ほとんど出会う人もなく、静かな沼の散策です。穏やかな時間です。こんなにも有名な沼でありながら、人の気配に支配されず、それでいて野性的でもない丁度よい沼の雰囲気が大沼の魅力です。
 そうした大沼の静かな入り江に浮かんで咲く、睡蓮はメルヘンティックです。7月になると大雪や富良野に撮影に出かけていたので、こうした大沼の睡蓮を撮ることは長年できないことでした。しかも、昨年ハッセルブラッドでは睡蓮を写せないことを知っていたので、今年はライカでのチャレンジです。
 ライカにアポ・テリートR280mmF4という望遠を付けて撮影です。沼面はゆらゆらと模様を変え、睡蓮もほんの一時も止まることがありません。アメンボがすいすいと泳ぎ回って、沼面にまた複雑な模様を描きます。
 そんな穏やかな沼面を一心に見つめながら、一番沼面の模様が綺麗だ!と思った瞬間シャッターを切ります。
なかなかタイミングが合わないので、今度こそ、今度こそと思いながら写し続けます。
 そうして、20枚ほど撮影した中から、睡蓮を下に配した構図のものを選びました。波間の模様に重点を置いた睡蓮を上に配した構図のものとどっちにしようか、と迷いましたが、今回はこっちにしました。
 

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