の世界
119 『夏の列島5000Kmの旅から』 20068
8月3日〜25日の約22日間、夏の列島5000kmの旅に出ました。
今月はこの旅で出会った数々の風景や出来事を紹介していきたいと思います。
 まず、この旅の一番のきっかけになったのは、東京で顕微鏡を買うことでした。8月5日に東京で顕微鏡店に立ち寄るため、それに合わせて予定を組み、8/3日スタートとしました。ただ、今思えばもう一日余裕がほしいところでした。それは後でゆっくりお話しするとして、さっそく旅を始めましょう。

■8月3日 旅立ち
 
 昼、高いガソリンを丘のうえの小さな写真館号に入れて、函館港から下北半島の突端にある大間崎に渡る。
ここが本州最北端である。ここから一路大急ぎで岩手県の東部海岸である三陸海岸に向かう。
予定では夕暮れまでに着いて、あたりを少しでも見て回ってから撮影に挑むつもりだったが、思った以上に距離を稼ぐことができず、三陸海岸の本命である「北山崎」に着いたのはもうすでに夜遅くになってからだった。
 三陸海岸にある「北山崎」は誰もがよく知る日本の海岸美の象徴とされる地であるが、僕は長年訪れてこなかった。
 その理由は、今までの力量ではとてもここを写す意味を見いだせなかったからである。
 しかし、ご存知の通り、ライカを使うようになり、白黒写真を始めるようになったことで、三陸海岸と対峙できるかもしれないという思いが募り、今年初めからずっとこの日のために訓練を積んできていた。

■8月4日 三陸海岸の撮影
 
 着いた夜から三陸海岸はよく晴れて、今まで見たこともないほど美しい星空が広がっていた。
そして、夜明け前から起きて、太陽の出るのを待った。その間、ヒグラシの大合唱で歓待を受け、夜明け前からその場の雰囲気は高揚していた。
 太陽が出ると当時に、僕は北山崎の少し北にある「黒崎」に向かった。無論、初めて見る風景であったが、太陽に照らされて、浮かび上がる黒崎の風景はそれはすばらしいものであった。
 岩の上に均整のとれた松が生え、これぞ日本の海岸の美であるといわんばかりの光景だった。
朝日は、穏やかに岩とその上に生える松を照らし、海から立ち上る海霧がやさしく断崖を柔らかに包んでいる。
 今年は、7月までずっとやませが吹き、ずっと夏霧に包まれていたであろうが、今朝の三陸の海は輝ける朝を迎えている。僕は迷うことなくこの風景こそこの旅の一番の風景であると思った。そしてその通り、十分に満足できる作品が仕上がり、こうして北国通信にできることは実に嬉しい。
 しばし、黒崎を写した後、大変満足しながら今度は本命であった「北山崎」に向かった。北山崎を写す頃になると、太陽の日差しが強くなりすぎて、空気は朝の柔らかな清澄さを欠くようになっていたが、それでも北山崎の光景はすばらしいものであった。
予想以上に雄大であり、見事なものであった。しかも、予想に反して北山崎を望める場所は数カ所あり、時間があるなら下の海岸にまで下りられるという「自由度」があることに驚いた。
こうした景勝地なのだから、もっと不自由な思いをするのかな?と思ったが、それが思った以上に自由であり、人の気配もなく、自然が保たれていた。
散策路の途上の木のすき間から撮影していると、目の前に日本カモシカがこちらの様子をうかがいに来るようなところである。(右の写真を撮影していたときのことである。)
 今回の旅では、今日一日で三陸海岸を南下し、明日の昼には東京の本郷に行く予定である。 
僕はこうした三陸海岸の自由度に触れたとき、後一日余裕を持っていたらよかった、と何度も後悔した。
しかし逆に、一日しか写す時間がないことが、かえって再びこの地に立ちたいとする、意志を助長するようでもあった。
「北山崎」を撮影してから「鵜の巣断崖」を撮影。鵜(う)が巣を造るほど険しい断崖である。断崖もよいのであるが、 その断崖と断崖のすき間にある砂浜もすばらしく、その取り合わせが実にいい。
「鵜の巣断崖」に続いて、更に南下すると、今度は「真崎(まさき)海岸」である。ここもすばらしいと聞いていたものの、ここまですばらしいとは思いもよらなかった。釘付けである。
真崎海岸のその風景は長年理想として思い描いていた日本の海岸そのものであった。
これほど美しい海岸を今まで僕は見たことがなかった。
僕はその海岸を目の前にして一歩も動けなくなり、その間、試行錯誤の中でとまどいながらもこれを懸命に写し続けた。
それにしても、目が覚めるほど美しい海岸であった。

別れを惜しみながら更に南下する途上「三王岩」という珍しい岩が崖下に見える景勝地まで来たが、
時間の関係でこれを写すことには涙を飲み、更に南下を続けた。

三陸海岸北山崎の雄大な海岸線
三陸真崎海岸に打ち寄せる波
 次に現れた岩手県宮子にある浄土ヶ浜はなんだか観光地の様子でごみごみしていたので、これは避け、山田町、大槌町、釜石市、大船渡、陸前高田を通り抜け、ここで岩手県に別れを告げて、宮城県の気仙沼にまで一気に南下する。
 気仙沼手前の唐桑町では大理石海岸という魅力的な名前を持つ海岸を写し、夕暮れ間近に有名な巨釜半造を何とか写して、これであたりは真っ暗になった。
 気仙沼といえば、ようやく宮城県に入ったところで、まだまだ東京どころか、仙台さえも遠い。気が遠くなりそうだったが、暗くなった夜道をひた走りに走って東京を目指した。
 しかし、どう冷静に計算しても東京に着くのは明け方近くなることは明らかだった。それは仕方がないことだったが、さて、東京に着いたらどこで寝るのが一番よいのか、それが一番の問題だった。関東圏は土地が隅々まで利用されつくされていて、車一台留めて安らぐ場所を見いだすことが難しい。
 そこで、最初は霞ヶ浦か利根川沿いか、大洗のフェリー乗り場に見当を付けたが、結局千葉県の大洗町にある涸沼(ひぬま)あたりがよいのではないか?という結論になり、涸沼に向かうことになった。しかし、涸沼付近は思った以上にすき間なく土地が利用されていて、どれだけ探し回っても、なかなか安らげる場所はなく、ぐるぐると探し回っている間にとうとう夜が明けてしまった。 
 しかし、それでも、ほんの小さなすき間を見つけ、数時間の間でも仮眠をとることができ、その仮眠のおかげで元気を取り戻し、一路、浜野さんの待つ東京本郷にある顕微鏡店に向かった。

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