の世界
119号-3 『夏の列島5000Kmの旅から』 20068
■8月8日 柿其渓谷(かきぞれけいこく)を撮影
 
 今日は朝からぽつぽつを雨が落ちるあいにくの天気である。ああ、ここまで来ておきながら、柿其渓谷を写せないままになるのか!と思い僕は天を仰いだ。しかし、しばらくして天気は回復して、晴れ間まで出るようになる。悪くなるばかりでない天気に感謝しながら、思う存分柿其渓谷を写す。上の写真にある緑の淵がとても印象的であった。
 柿其渓谷を写してから、少し北にある阿寺渓谷に向かうが、そこを撮影中にライカのR7のシャッター幕に触れてしまい、動かなくなってしまった。僕は20年写真を撮っているが、初めてのトラブルである。仕方なく、近くの町から函館の修理店にカメラを送り返し、修理をしてもらうことになった。
 さあ、えらいことになった。ライカはまだ2台しかなく、そのうちの一台が壊れると、カラーと白黒の両立しての撮影ができなくなる。
 仕方なく、それ以降の撮影では、慶ちゃんにライカを持ってもらい、ハッセルとライカの両方をかついで歩くことになった。

■8月9日 御嶽山西部、岐阜県小坂町にある厳立峡を撮影
 
御嶽山の西麓に、御嶽山の噴火によってできた土地があり、そこを小坂川が流れ、そこには厳立峡という峡谷がある。今日はこの厳立峡にある「からたに滝」を撮影する。
 滝そのものに魅力を感じ、この峡谷に一日を割いたのだが、実際来てみてみると、滝そのものよりも渓谷の水の美しさに心奪われ、滝そっちのけで、渓谷の水の流ればかりを執拗に撮影していた。ライカのR7が壊れたので、残るR8のフットワークの軽さを巧みに使って、渓谷を軽々と身をひるがえしながら撮影していった。不安定な岩の上ではハッセルは扱いにくいから、こんな時、ライカは本当に頼もしい。
その後、紀伊半島の方へ撮影に向かうか、神戸にいったん落ち着くか悩んだが、後者の神戸に落ち着くことにした。つかの間の夏の休暇である。
■8月10〜18日 神戸で過ごす 
 
 神戸ではいくつかやりたいことがあった。一つはライカの引き伸ばし機を大阪まで見に行ってくることなど、函館ではできないことである。
 ライカの引き伸ばし機はフォコマートと言われ、引き伸ばし機の王様である。値段も途方もなく高い。それでも、白黒に魅せられた僕が、フォコマートを考えるのも無理はない。ただ、予算は全くないから、今回は見るだけである。
 次に、大阪で白黒関係の特殊な印画紙を見て回ったり、ライカのレンズなどを見て回ったりした。
一つ面白かったのは、大阪の阿倍野区にあるカメラ店に向かうとき、そこを走っている阪堺電車というチンチン電車に乗れたことだった。
 阪急、地下鉄と乗り継ぎ、更にチンチン電車に乗って、フォコマートのあるカメラ店に出向いたのである。
そのカメラ店の名前は、ヒカリカメラといい、その店の斉藤光一さんに僕はいつもお世話になっているのだ。
 その他、有〜ぽんを釣りに連れて行ってやりたかったので、淡路島まで釣りに行くことにした。淡路島は僕の青春そのものである。僕は学生時代、学校のことよりも淡路島のことの方が詳しいような暮らしをしていた。
 都市のような沈滞した空気感の中で青春時代を過ごした僕にとって、淡路島に釣りに行くことや後の星空を見に行くことは、ただ唯一、その沈滞からの突破口であった。それ以外に、都市の沈滞を抜け出て、思いっきり空気を吸う手だてなど、その時の僕には思いつきもしなかった。
 そうした僕にとって青春時代の支えとなった淡路島に有〜ぽんを連れて行ってやりたいという思いは数年前からずっとあったのだが、それが今年ようやくかなうことになった。
 運良く、魚も多種多様な魚が釣れ、満足もできたし、明石海峡名物のタコフェリーにも往復で乗ることができたし、十分満足できる休暇だった。

■8月19日ようやく紀伊半島へ
 
 16日の日に神戸を出て、紀伊半島を撮影しながら函館に帰る予定を組んでいたが、残念なことに、ちょうど足ののろい台風がやってきていて、出発を延期せざるをえなかった。それで、出発が3日遅れの19日となり、19日に紀伊半島へと出発した。
 紀伊半島ではまずミカンの栽培を見ることが大きな目的だった。そのことは、大阪の延々と続く市街地を抜けて、和歌山に入ってすぐにかなえられた。
 みかんは、有田川という川の近辺を中心にその辺り一帯、至る所で栽培されていた。ただ、その付近を過ぎるとミカン栽培はどんどんと減っていき、和歌山でもその他の地域ではほとんどミカン栽培を見なくなった。以外に狭い地域に集中して栽培されていることが意外だった。
 有田を過ぎて少し南に下ったあたりは複雑に入り組んだ海岸線が続いた。道も狭く、大変走りにくかったが、国道から離れ、ずっと海岸線沿いに進んだ。そして、白崎海岸という渚100選に選ばれている海岸にたどり着いたとき、その見事さに心打たれ、一も二もなく撮影を開始、たちまちに暗くなっていく白崎海岸を夢中になって写した。(この時の情景は驚くほどインパクトの強い作品に仕上がった。)

■8月20日紀伊半島をぐるりと南下し、鼻白の滝へ

 
 思い残すことがあってはいけないと思って、そのまま夜の内に先に進むことはせず、その夜は有田川沿いのできるだけ涼しいところで眠る。
 そして、明けてから紀伊半島の海岸線を海沿いに南下、別に気を引かれるようなところがないことを確認する。ただ、本州最南端である潮岬に近づいてくると海岸線の雰囲気もよくなり、何度か止まって、暑い海辺を写すことがあった。そしてしばらく行って、潮岬への道中、岬を望む開けたところがあり、そこから望む潮岬の風景が目に飛び込んで来た途端、すばらしい!と思わず叫んだ。
本州最南端 潮ノ岬
潮岬を訪れるのは22年ぶりである。今から22年前、僕は何を思ったのかバイクで紀伊半島を一周した。ただそれだけのことだったが、潮岬の灯台の中で一時間過ごしたことを今でもよく覚えている。
 潮岬の遠望を満喫した僕たちは、急ぎ、「鼻白の滝」へ向かった。
鼻白の滝は熊野川沿いにあるため、まだまだ先は遠い。潮岬は本州最南端であるため、ここから熊野へは北上することになる。正確には北東に進むのであるが、潮岬からさらに北東に40kmほど走ると、新宮市となりここが熊野川河口、和歌山県と三重県の県境になる。
 
 新宮市にたどり着いた頃には、もう夕風の吹く頃で、とにかく目指す鼻白の滝にむけて、ひた走ろうとした。しかし、熊野川に沿う道から見る熊野川の流れは想像を以上に美しく雄大で、目を疑うばかりであった。 ああ、これは四国の四万十川に匹敵するかそれ以上の川ではないか!まだまだこの日本には知らないだけですばらしいところがたくさんあるなあ〜と感じ入りながら、急ぎながらも途中、耐えられなくなって、何度も熊野川の撮影を行った。そして、とうとう鼻白の滝にたどり着くが、もはや夕暮れ間近、それでも、何とか猛スピードで撮影を開始し、数カ所から鼻白の滝の撮影を行った。
 
 鼻白の滝は滝の紹介本で見ていたものよりも実際に見た方が格段にすばらしい滝だった。というよりも、僕にとって長年探し求めてきた理想に近い滝であると言える。僕はこの夕刻を含め、この帰路の最中に合計 3度、鼻白の滝の撮影に挑んだ。そのうちの一枚が今回の白黒作品である。
 今度いつ来られるかわからない遠方の滝であったので、できる限り懸命に写した。
熊野川幽遠
鼻白の滝
この鼻白の滝近辺では、満足のいく鼻白の滝の作品を残したかったので、2日間に渡って滞在した。
この間、近くにある宝龍滝や布引の滝にも出向いたが、どの滝もすばらしい趣の滝ばかりで、この地域のすばらしさを実感した。
 特に宝龍滝への道は落ちそうになるほどの細い道を25Kmも走らなくてはならなかったり、その間の山奥にまで人の暮らしがあったりするなど、ことの他発見が多かったし、宝龍滝自体もほぼ100点の撮影ができ、満足のいくものだった。
 そして、とうとう8月22日の朝、この地域に別れを告げて、その日中に新潟県直江津港から出る北海道行きのフェリーに乗る予定で北に向かった。
 
 その道中、途中まで熊野川沿いに進み、瀞峡(とろきょう)付近で、その支流となる北山川沿いに北上する。
そしてその途上、どうしても立ち寄りたかった「不動七重滝」に立ち寄る。名瀑中の名瀑と呼ばれるこの滝は、一目見ておきたかったので、どうしても立ち寄りたかった。国道から林道に入り、長く荒れた道を進むと、更に山奥深い風情が濃厚となり、草木も生えないような断崖などが見え始める。
 
 あのあたりにあるのかな?と思い思いしながら車を走らせると、予想通り、何段にも折り重なった豪快な滝が対面する山の中腹を囂々と音をたてながら流れ下っていく。
 
 一目見て、「すばらしい!すばらしい!」の感嘆の渦に巻き込まれながら、ハッセルをセットしてこの雄大さを写すために広角レンズであるディスタゴン60mmを装着した。天気は晴れた日中であり、時折雲間から差し込んでくる光が変化をつけてくれるくらいで、滝を撮影する条件としては、良いとは言えない。
しかしもはや時間はなく、残り一時間程度でこの滝を写すことは不可能なことであることは誰でもわかる。
 
 しかし、それでも、ベストをつくすことは言うまでもなく、可能な限り解像力を上げるために絞りをギリギリF8に設定して、雲間から差し込む光のタイミングを見計らった。
 
 2時間の内に、何度かチャンスはあった。そのチャンスをカラー白黒共に同じ構図で撮影を続けた。帰りがけ、「とうとう最後まで、構図変えなかったよ」と慶ちゃんに話すと、「あなたらしい」と言われた。僕は信じた構図をなかなか変更しようとしない、そういう写真家である。
 
 その後、大台ヶ原に寄るが、大台ヶ原は雷雨だった。日本で一番の多雨地帯であるらしいが、先程まで晴れていたことが嘘のような天気である。
 
 大台ヶ原からは大急ぎでフェリーに向かおうとするが、奈良を通り抜けて名古屋の南部に来たあたりで、どうも間に合いそうにないことが判明する。計算ミスであったが、このままフェリーに間に合うためには高速に乗って10000円も支払う必要があったので、今日中のフェリーに乗るのはあきらめてしまった。
 
 しかし、次のフェリーが出るのは2日後である。それまでどうしたらよいのか、しばらく路頭に迷ったが、慶ちゃんにお願いして、僕の念願であった福島県のつむじ倉滝にまで行ってもらうことにした。
 
 名古屋から福島県までは実に遠い。途中福井県の池田町にある双龍ケ滝に立ち寄り、翌朝から急ぎ東に進み中央アルプスを横断し、長野を抜けて、何とか福島県の手前までたどり着く。かなりの強行軍であったがつむじ倉滝など、福島県の滝を見ておくことは今後の撮影予定に大きくものを言うだろうとの考えからフェリーに乗り遅れたこのチャンスを最大限生かしたかったのである。

■8月24日 福島県南部を一回り
 
 福島県南部の滝を巡るドライブとなった8月24日。フェリーに乗り遅れたことで得た本州の一日である。 その日もよく晴れて、福島県南部はすがすがしい気配に満ちていた。驚くほど車も少なく、町も少なく、何も撮るものはないが、実にすばらしい気配の中、僕は車を走らせた。何もかもが平和であった。穏やかであった。僕は目指すつむじ倉滝のある柳津町にひた走っていた。柳津町も穏やかそのものであったが、滝自体は予想以上に貧弱で、前景の草むらに覆われて滝そのものもあまり見えず、予想以上に満足できなかった。

そして、次に目指した滝も、その次の滝も思ったほどではなく、福島県の滝巡りでは3敗であった。
滝巡りはさんざんな結果であったが、福島県はすばらしく、こんな穏やかな気配を他で感じたことは今までになかった。
 もっと時間があれば、北部、猪苗代湖の方面にも行きたかったが、それはかなわない。次の機会である。しかし、以前に福島県を通ったときにも、そして今回にも感じた他では感じないこの穏やかな気配を何と呼べばよいのだろう。一言で、福島はよいところだった、とすればよいのかも知れないが、そんな一言で語れないほど福島県に魅力を感じるのは僕だけだろうか。
 
 ただ、今夜こそはフェリーに乗り遅れるわけには行かない。大急ぎで新潟県直江津に戻り、フェリーに乗った。フェリーでは幸運なことにまた4人部屋であり、我々3人がその部屋を独占するといった、極めて安楽な世界がそこにはあった。これだから、東日本フェリーはやめられない。最近、一年に一度経験する快楽の17時間である。途中で仕入れてきたワインを飲み、モモを食べ、風呂に入り、適度に効いた冷房の部屋で静かに眠った。一年に一度の羽を伸ばせるひとときである。
 
 そして、日本海、津軽海峡の海上は終日よく晴れて、持ち込んでいたライカで、恵山や津軽海峡や噴火湾などを写した。すごく偏光の効く日で、偏光フィルターを回転させると、海上を覆うもやがすっぱりと晴れ渡った。
 
 フェリーを下りると、そこは北海道であり、すがすがしい気配の北海道の道を一路函館に向かった。
途上、長万部手前で噴火湾のむこうに反対向きになった駒ヶ岳が見えるので、これを写した。
これを写しているうちににわかに西の空が真っ赤に染まり始めた。夕焼けである。
久しぶりの夕焼けである。「ああ、これだけの夕焼けを見るのは何年ぶりだろう!」慶ちゃんと有〜ぽんと3人でしんみりとなった。北海道に帰ってきた初日、これだけの夕焼けがお出迎えである。これから何かよいことがあるような…そんな気にさせてくれる歓待の夕焼けだった。   
            
                                〈列島5000kmの旅終わり〉
北海道に上陸すると、反対向きの駒ヶ岳と夕焼けが歓待してくれた。
以前にもこのさかさ駒ヶ岳を写したことがあるが、それからもう20年近くたとうとしている。早いものである。