★ま〜くんの望遠鏡の世界★
憧れだったタカハシの16cm反射望遠鏡とEM-100赤道儀。
当時、若草色の鏡筒が羨望の的だった。
 ぼくは19才の時、星を初めて見た。母が初めて買った車に乗り兵庫県の北にドライブに行った帰り道の事だった。僕は車の後部座席に乗って、ガラス越しに何気なく夜空を見上げていた。すると、そこには無数の白く光るものが見えた。「いったいあれは何だろう?」そう思ったぼくは母に車を止めてくれるようにお願いした。しかし、きかない性格の母は止めようとはしなかった……。 

 これが、僕と星との初めての出会いだった。しかし、正確には小さい頃、銭湯に行く時、神戸の下町の黒い瓦屋根の路地からプレアデスを見ていた。しかし、その頃の僕にはそれがプレアデスであることはわからなかった。「あれ、あんなに小さな北斗七星?北斗七星が小さくなってる」「どうしてだろう?」そんなことを思ってはいたが、たいして気にも止めなかった。

 ぼくが、初めて星を見た19歳の頃、僕は高校を中退し、大学にだけは進むつもりだったが、何をして生きて行ったらいいかわからないままだった。そんな迷い子状態の時に僕は星と出会うことになる。
その後のことは記憶にないが、早速、ぼくは神戸にある望遠鏡店に望遠鏡を買いに行っている。
その時のぼくは彗星と水星の区別もつかない素人で、まして、望遠鏡の事など全く知らなかった。しかし、望遠鏡店に行くと、そこには人のよさそうな、向井さんという人がいて、僕が「望遠鏡が欲しいんですが……」と言うと、「いいのがありますよ!」と言って、奥から望遠鏡の入った大きなダンボール箱を持って来てくれた。

 「これ、15万円の望遠鏡ですが、下取りしたもので、5万円なんです。いかがですか?」と向井さんはやさしそうに微笑みながら、すすめてくれた。ぼくは迷うことなく、その望遠鏡を買った。後でわかったのだけれど、それはミザールという会社の12cm反射望遠鏡で、AR120SLと言う望遠鏡だった。しかし、買って来たと言っても、使い方がわからない。色々な本を読んでみた。星雲星団がのってある星図を手に入れたので、早速のぞいてみた。適当に動かして行けば、いつか何か入ってくるだろうと、思った。しかし、いつまでたっても、星しか見えなかった。ぼくはついにあきらめてしまった。一息ついてから、ぼくは目の前に輝いている星をのぞいてみた。

 すると、どうだろう、うわさに聞いていたが、いまだに見たことはない土星だった。なんと本当に輪があるのだ。感動したが、それも、束の間。次には赤道儀の使い方を知ろうとしたが、よくわからなかった。一晩コタツの中で横になって一人考えたが、わからなかった。

そのうち、再び望遠鏡店に行き、向井さんにぼくは水星と彗星の違いを尋ねた。このことを向井さんも知らなかった。そこに、お客さんとして、筏さんという人が店に入って来た。運命の出会いだった。彼と出会ってから、ぼくは急速に星に魅せられていった。ぼくは彼の観測所に毎週ついていった。一晩も晴れなかったが、楽しかった。思い起こすに、その頃が、ぼくの心の中の桃源郷と言えるだろう。人生本番を前に、目の前に豊かな人生の可能性が横たわっていた。

当時では憧れることさえできなかった、タカハシのFCT-100を手に入れた。
3枚玉の10cm屈折フローライトだけれど、当時の値段で45万円もした。今では生産終了になって、お金を出してもなかなか手に入らない望遠鏡になってしまった。
こうして僕は、今でも望遠鏡が好きで、色々と買って楽しんでいるが、ひとたび函館の街を歩いてみても、望遠鏡と出会うことはなくなってしまった。望遠鏡だけではない。僕の好きなものが、街から消えてなくなりつつある。売れないのがその理由だけれど、望遠鏡にしろ、顕微鏡にしろ、カメラにしろ、僕の好きなものが僕も住む街のどこにもないのは寂しいを通り越してしまって、むなしくてならない。

19才の時、初めて星を見た時、僕のすぐ近くに望遠鏡店があって、そこで出会った筏さんに星のことを教わって、ぼくは初めて星を見た時以上に、星に親しみ、星を愛していった。そして、それと、比例して好きな望遠鏡ができた。しかし、今、この街で僕のような少年がいても、望遠鏡を真近に見て、憧れたり、悩んだりすることはできないのではないだろうか?

19才の時、ぼくは望遠鏡店でいただいて来たミザールの望遠鏡カタログを寝る前等に眺め、これで星を見たら、どんなによく見えるんだろう?とため息をついたものだ。しかし、そのミザールも今は業務を縮小して、当時の面影はない。

これは、望遠鏡の会社のせいというより、むしろ、街から望遠鏡が消え、人の心から望遠鏡が忘れられたせいだと思う。身の回りに望遠鏡がない、顕微鏡がない、カメラがない子供達はかわいそうだ。子供時代、望遠鏡や顕微鏡や、カメラや……そんな不思議な本能的な道具を知らずに、見ずに育って行こうとしている。

このように、望遠鏡や顕微鏡やカメラが街から消えた理由は大人たちがそれどころではない生活をしているからだろう。現実の星は一般的な生活から最も遠い存在になっていて、それに比例して望遠鏡への関心が薄れている。家の玄関の前に出して、すぐにでも使える感じ、つまり生活から一歩出たくらい感じで使えるなら、もっと一般化しただろう。しかし、街に住めば、街の空では星は一つも輝いていない。この生活から懸け離れた距離感が望遠鏡を人の心から遠ざけ、店の片隅からでさえ、望遠鏡は姿を消していった。

カメラのキタムラや眼鏡屋さんに一時期、ビクセンの望遠鏡が並んだ時期があったが、これも、売れないのでなくなってしまった。

しかし、このような大人の生活の渦の中に巻き込まれた子供はたまったものではない。せっかく命を受けて生まれて来たというのに、今の大人のせいで、未来への可能性が摘まれている。「子は親の鏡」というが、意味をひねって解釈するような子供になってほしいものだ。

子供達よ!君たちの未来には本当の時間、本当の空間が果てしなく広がっている。君たちは本当はそんな無限の空間の中に生まれて来た。今君たちが置かれている生活や社会を「現実」だと思ってはならない。神様は君たちを「広い世界で生きるようにと、創って下さった」本当の現実はもっと高尚で、優雅で、美しさに満ちあふれているのだ!!

僕の子供達へのメッセージはこのように要約される。あらゆる子供達が、広い世界に出て行く権利がある。大人たちはそのために懸命に勉強して、子供達の模範にならなければならないだろう。

ぼくは、このような思いから、望遠鏡のある風景を撮影中である。一人でも多くの子供達が、望遠鏡に憧れ自分達の知らない世界が、ずっと遠くまで広がっていることを感じてくれるきっかけになってくれればと、思う。繊細なる精神が息を吹き返しますように!!神に祈ります。

                            写真家 山下 正樹

●その他の望遠鏡
ここでは、望遠鏡のある風景というよりは、望遠鏡そのものを具体的に見ていって下さい。僕だけのコレクションではとても、御満足いただけないでしょうから、随時目にした望遠鏡を掲載していきます。
1)神戸青少年科学館の望遠鏡
2)
タカハシ製作所MTシリーズ反射望遠鏡3兄弟
3)
タカハシ10cml屈折FCT-100