旅の空の下から
旅の空の下で
顔を洗う
ガソリンコンロ
ガスコンロ
憩い
大雪山高根ヶ原にて
露天風呂
パンク
旅の楽しみ 牛乳
車を止めて眠る
野良市
撮影
朝のひととき
旅の空の下-富山県-
大雨の日の撮影
アライテントと共に
銭 湯
七夕飾り
小さなトンネル
穏やかな海
ガソリンの高騰
おにぎりとパン
旅のお土産
泊まる
日本的情感
ご飯
驚きの価格
牛乳コレクション
駄菓子屋さん
ジャンプしよう!
灼熱気温46℃
日除け
寝袋に寝る
冷蔵庫のポスト
海に突き当たる道
20万キロ達成!
面白い看板
旅先、撮影後の夜の食事
町民バス
岩手県の牛乳コレクション
 どうして旅をするのだろうか。

それは普段の生活の中では心の奥底深くに沈み込んで眠っている

僕が過去に存在したとき見ていた心の風景に出会いたくなるからである。

僕の体や心は

この地球上の水や空気や火などといった目に見えない気配が

神様がお造りになった巧みな組み合わせによって、組み合わされてできたものである。

そして過去に僕は何度か別人としてどこかに存在しただろうし

また空気にも水にもそして木にも鳥にも花にもなったことがあるのであろう。

そうした過去の様々な想いが

今の僕の心の奥底深くに普段は隠れていて

その想いが何らかの刺激によって刺激されて、旅に出なくては生きていけなくなるほどに高揚し始める…。

だから旅というのは

普段隠れ沈み込んだ過去とも現在とも言えるいくつもの自分の心に出会うことである。

すなわち、自分の心と出会い、そして心の形を知り、心が何を求めているかを知るために

僕は旅に出ようとするのである。

従って、僕の旅にはガイドブックはいらない。

ただただ、心の奥底深くから響いてくる声に耳をすませ

心の方位磁石が指し示す方向へ向かうだけである。

そして、なぜか不思議なことに見たこともないところのはずなのに

そこを聖地だと崇めたり、真なる憩いの地なのだと

心の声は僕に語りかける。

しかし、心の声は僕に具体的にそれがどこにあるのかを

教えようとはしない。

それゆえ、僕の心の旅はこうした真なる心の聖地を求めて

未来へとつなげられていく。

 北海道道南、瀬棚側から狩場山へ続く林道を旅ゆく途上、エゾスカシユリが路傍に咲いていた。
一輪の小さな百合の花が咲いている野、そして遠望されるどことも知れぬ山の連なり。僕は最近この「どことも知れぬ」という風景に心うたれる。どこか遠いところ。
 百合もまたどことも知らないで咲いている。その知らぬが故のけなげさ、存在の小ささに心引かれるのである。
写真自体も実に素朴な雰囲気を持ち、何ら技巧を見せたり、説明的になっていないのがこれまたいい。その昔、右も左もわからなかった時代の僕が写した一枚である。